藤井寺剣道薙刀協会
子供たちに剣道・薙刀を通じて礼儀正しさ、忍耐強さを教えています。
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剣道とは

剣道は剣道具を着用し竹刀を用いて一対一で打突しあう運動競技種目とみられますが、
稽古を続けることによって心身を鍛錬し人間形成を目指す「武道」です。

2011年(平成23年)3月末日現在の「剣道」有段者登録数は、1,619,859人(内、女子は460,624人)です

剣道は剣の理法の修錬による人間形成の道である

剣道修錬の心構え

剣道を正しく真剣に学び
心身を錬磨して旺盛なる気力を養い
剣道の特性を通じて礼節をとうとび
信義を重んじ誠を尽して
常に自己の修養に努め
以って国家社会を愛して
広く人類の平和繁栄に
寄与せんとするものである

昭和50年3月20日制定 財団法人全日本剣道連盟

剣道の歴史
剣道の歴史を遡るとき、欠くことのできない基本的な段階がいくつかある。 その源は日本刀の出現である。 彎刀(わんとう)で鎬(しのぎ)造りの刀は日本独特で、平安時代(794~1185)の中頃に出現した。その原形は日本列島東北地方に住み騎馬戦を得意としていた部族が 平安初期には既に使っていたと思われる。以来、武士集団に使われ、日本最初の武士政権,鎌倉幕府末期に製作技術は飛躍的に進歩した。「鎬をけずる」 といわれる剣の技は、日本刀とともに日本に生まれたものであると言っても過言ではない。

室町時代

室町幕府(1392~1573)の後半、応仁の乱が始まってから約100年間、天下は乱れた。この頃に剣術の各流派が相次いで成立している。1543年種子島に 鉄砲が伝来した。日本には河床に沈積した品質の良い砂鉄があり、たたらふき法で製鉄し、刀を鍛造していたが、短期間に同じ方法で質のよい鉄砲を 大量に生産することに成功した。それによりそれまでの重装備の戦闘方式は軽装備の白兵戦へと大きく変化した。そうした実践体験を踏まえて刀を作る 技術の高度化・専門化が進み、洗練された刀法が確立され、新陰流や一刀流などの諸流派に統合されて後世まで継承されている。

江戸幕府

江戸幕府(1603~1867)の開府以後、平和な時代が訪れるに従い、剣術は人を殺す技術から武士としての人間形成を目指す「活人剣(かつにんけん)」 へと昇華し、技術論のみでなく生き方に関する心法まで拡がった。幕府初期には柳生宗矩の「兵法家伝書」、第三代将軍家光のために「剣と禅」を 宗矩にたのまれて沢庵が解説した「不動智神妙録」、宮本武蔵の「五輪の書」などは、そうした思想を集大成した兵法書である。中期・後期にも各流派 の理論が出され、夫々は今日でも多くの剣道家に示唆を与える名著になっている。

これらの書が武士に問いかけたことは、如何にして死を超越して生に至るかという問題であり、それはそのまま武士の日常生活の教育でもあった。 武士は、これらの指導書、また教養書を学び、日常生活は厳格で質素であり、才能を磨き、武術に励み、善悪を知り、一旦緩急があれば藩のために国 のために命を捧げることを知っていた。通常の仕事は現代でいうと官僚であり軍人であった。ここで生まれた武士道の精神は264年に及ぶ平和の中で 養われ、封建制度の幕府が崩壊しても日本人の心として現代に生きている。

他方、太平の世が続き、剣術は実践的な刀法から華麗な技がつくられていく中で、新たな基軸をうちだしたのが直心影流の長沼四郎左衛門国郷である。 長沼は正徳年間(1711~1715)に剣道具(防具)を開発し、竹刀で打突し合う「打込み稽古法」を確立した。これが今日の剣道の直接的な源(みなもと) である。その後、宝暦年間(1751~1764)に一刀流の中西忠蔵子武が鉄面をつけ、竹具足式の剣道具(防具)を用いて打込み稽古法を採用すると、 またたく間に多くの流派に波及した。寛政年間(1789~1801)ころには、流派の壁を越えて他流試合も盛んになり、強い相手を求めて武者修行を する者も相次いだ。

こうして江戸幕府後期には、「袋しない」よりも腰の強い「四つ割り竹刀」が発明され、胴もなめし革をはり漆で固めたものが開発された。俗に 「江戸の三大道場」といわれる千葉周作の玄武館、斎藤弥九郎の練兵館、桃井春蔵の士学館などが勇名を馳せるのもちょうどこの頃である。 千葉はまた、竹刀打ち剣術の技の体系化をはかり、打突部位別に技を体系化した「剣術六十八手」を確立した。千葉が命名した「追込面」や 「摺揚面」など、多くの技名は今日でもそのまま使われている。

明治維新

明治維新(1868)になり、新政府が設置されて武士階級は廃止され、続いて帯刀が禁止されたことにより失業者は激増し、剣術は下火になった。

その後、明治10年西南の役を契機に警視庁を中心に復活の兆しが見えはじめた。明治28年(1895)には、剣術をはじめとする武術の振興を図る 全国組織として大日本武徳会が設立された。ほぼ同じころの1899年に武士の思想の集大成とも言うべき『武士道』という書が英文で出版され、 世界に影響を与えた。

大正時代

大正元年(1912)には剣道と言う言葉が使われた「大日本帝国剣道形(のち「日本剣道形」となる)」が制定された。流派を統合することにより日本刀 による技と心を後世に継承すると共に、竹刀打ち剣道の普及による手の内の乱れや、刃筋を無視した打突を正した。竹刀はあくまでも日本刀の替り であるという考え方が生まれ、大正8年、西久保弘道は「武」本来の目的に適合した武道および剣道に名称を統一した。

I

第二次世界大戦敗戦後

第2次大戦敗戦後、連合国軍の占領下におかれた日本で、剣道は抑圧されていたが、昭和27年(1952)独立回復後、全日本剣道連盟が結成されると ともに甦った。今日では、学校体育の重要な一部分を構成するとともに老若男女を問わず、庶民の間に拡がり、数百万人に及ぶ幅広い年齢層の 愛好家が竹刀を持ち、ともに稽古に励んでいる。

また、世界各地で剣道を愛好する外国人も増え、昭和45年(1970)には国際剣道連盟(IKF)が結成され、第1回世界剣道選手権大会が日本武道館において 開催された。平成24年(2012)5月にはイタリアのノヴァラにおいて第15回世界剣道選手権大会が開催され、48カ国・地域から選手が集まった。 平成27年(2015)6月には日本で開催され52カ国・地域より選手が集まり、聖地ともいえる日本武道館で3日間の熱戦が繰り広げられた。決勝で日本が2-1で韓国に競り勝ち、3連覇を決めた。 通算15度目の優勝で、韓国は3大会ぶりの世界一を逃した。日本は今大会で男女の個人戦、団体戦の全4種目を制した。



 薙刀とは
 
現在行われているなぎなたとはどんなものか、といえば'西洋のフェンシング''日本の剣道'に似て以て非なるもの、でしょうか。 装束は剣道と殆ど同じです。最大の違いはその武器です。皆さん、源の義経の家来であった弁慶をご存知ですね。 その弁慶が持っていたのがなぎなたです。試合方法も剣道によく似ていますが、なぎなたにはなぎきるという独特の使い方があります。 薙(なぎ)倒すという言葉をご存知と思いますが、斜めから切り倒すことで、この特徴からなぎなた(薙刃あるいは長刃) の語源があるとも言われています。
薙刀の歴史

「なぎなた」という呼び方は『本朝世紀』久安2年(1146年)の条に、源経光所持の兵杖を説明して「俗に奈木奈多と号す」とあり、 このころから世に現れたと推察されます。一般に「なぎなた」の出現は、「奥州後三年記」(1803~1887年)の戦記の中に記されていたり、 「絵巻」では絵詩の中で描かれています。これが最初と考えられていました、すでにこれより148年前の天慶の乱(935年~941年)には 「長刀」が使用されていたようです。

刃部と柄部からなるなぎなたは日本の伝統的な武器の一つです。もともとは曲線のある刃を長い柄にとりつけたなぎなたは騎乗の戦士を なぎ払う歩兵に用いられていました。 伝来の絵巻物や物語によるとなぎなたが登場するのは10~11世紀頃の合戦でした。 太刀よりも応用自在で長いなぎなたは多数の敵を相手としたり又、海戦で非常に有利な武器となりました。合戦では弓矢を持った 馬上の兵士に対して歩兵の持つなぎなたが威力を発しました。 鉄砲が1550年に伝来し、戦闘方法が著しく変化したためなぎなた は急速に衰退しました。江戸時代(1603~1868年)に入りなぎなたはもはや戦では使用されなくなり、武士の装飾的な武器 あるいはその子女の護身用として用いられるようになりました。事実、なぎなたは武家に嫁ぐ嫁入り道具の一つでした。 ですから今日のなぎなたも主に女子が主流となっているのです。 なぎなたの各種の流派が出来たのは江戸時代でした。長い年月を かけ形式化されてきました。なぎなたの特徴は前後左右に行われ、繰り出し、繰り込み、持ち換えなど多彩な変化があります。 第二次世界大戦による敗戦(1945年)のため一時禁止されていた武道が1953年ようやく復活し、1955年に 全日本なぎなた連盟が新しい武道として発足しました。  各県の連盟からなるこの組織は45万の会員を擁しこのうち6万4千人が 資格を持っています。現在では中学、高校のクラブにも採用され会員は徐々に増えています。毎年全日本選手権大会ほか各種大会が 催され又、国体、インターハイにも参加しています。  国際的には1990年に国際なぎなた連盟が発足し、現在はベルギー、 ブラジル、フランス、オランダ、ニュージーランド、スウェーデン、アメリカ、チェコ、オーストラリア日本の10ヵ国が加盟しています。 外国では男子に人気があり、様々な交流を通して普及を計っています。4年に一度の割合で世界大会も行われています。 アセアン諸国にはなぎなたが取り入れられていませんので理解と協力を得たいと努力しているところです。 また、平成27年(2015)6月の世界大会(カナダ・モントリオール)では当協会出身の林田華純さんが学生で初めて日本代表として出場、個人選、団体戦ともに優勝という素晴らしい成績をおさめられました。


(一部全日本剣道連盟HPより抜粋)

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